• FIFA Club World Cup MOROCCO 2014FIFAクラブW’杯モロッコ2014出場(3位)

    マグレブ・テトゥアン(モロッコ/開催国王者)との開幕戦で、ついにこの大会で初めてとなる勝利を掴むと、その勢いのままセティフ(アルジェリア/アフリカ王者)にも勝利。準決勝でサン・ロレンソ(アルゼンチン/南米王者)に惜敗するも、3位決定戦でクルス・アスル(メキシコ/北中米カリブ海王者)をPK戦の末破り、クラブは世界3位にまで登りつめた。日本人として3大会連続出場となったこの大会で、全試合にフル出場。岩田も攻守で活躍し、チームの躍進に貢献した。

  • FIFA Club World Cup MOROCCO 2013FIFAクラブW’杯モロッコ2013出場

    日本人唯一の出場となる今大会で、開催国代表のラジャ・カサブランカ(モロッコ)との開幕戦で先発でピッチに立つ。試合は1-2で惜敗。先制を許したオークランドシティFCだが、一度は追いつくことに成功。しかし後半アディショナルタイム、献上した勝ち越し点がそのまま決勝点となった。日本人として大会史上初の2大会連続出場を果たした。

  • FIFA Club World Cup JAPAN 2012FIFAクラブW’杯日本2012出場

    2012年12月6日、ついに開幕戦のサンフレッチェ広島戦でオークランドシティFC所属の日本人選手としてクラブ世界一を争うピッチに立った。チームは敗れはしたものの、クラブW’杯出場というひとつの大きな夢を手に入れる。

  • October 2012 Auckland City FC (New Zealand)オークランドシティFC(ニュージーランド)入団

    念願のオークランド・シティ入団のビッグチャンスを自らつかみ取る。入団後チームの信頼を勝ち取った岩田はレギュラーポジションを奪取。2012年11月にはリーグのベスト・イレブンに選ばれた活躍が認められ、クラブW’杯2012年の遠征メンバーに正式に選出された。祖国日本での夢舞台のチケットを手にしたとき、オーストラリアのケアンズから歩み始めた「クラブW’杯への道」を踏破した。

  • 2012 Central United FC (New Zealand)セントラルユナイテッド FC(ニュージーランド)

    照準を「オークランドシティFC入団」にピタリと合わせ、ニュージーランドに乗り込む。その瞬間から、岩田は「クラブW’杯への道」を歩み始めることとなる。すぐにオークランド・シティのグラウンドにアポなしで乗り込み、つたない英語で入団を直訴。幸運にも熱意が伝わり、オークランドシティFCの提携クラブでもあるセントラルユナイテッドFC(ニュージーランド国内2部相当)への練習参加を手配してくれた。そして、練習参加後に入団が決定した。

  • 2010-2011 Edge Hill United FC (Australia)エッジヒルユナイテッド FC(オーストラリア)

    単身オーストラリアに渡り、エッジヒルユナイテッドに入団。日中は寿司店で業務をしながらサッカーを続けた。チームの絶対的な存在として、クラブがリーグのタイトルを総なめ(Preseason Match優勝 / Premier League優勝 / Grand Final Championship優勝 / Crad Evans Cap優勝)するのに大きく貢献した。さらに自らもクラブの年間MVP(Player of the year)に輝く。この大活躍が、上位リーグのクィーンズランド州リーグ(二部相当)のチームThe FNQ Bullsに引き抜かれるという形で移籍することへとつながった。しかしながら、その後ビザの問題が発生しニュージーランドへ渡ることとなる。

  • 2006-2009 FC Gifu (Japan)FC岐阜、FC岐阜Second(日本)

    岐阜工業高校卒業後、Jクラブからの誘いを受けなかった岩田は、当時、長谷川健太氏が総監督を務めていた浜松大学に進学。その後、2006年にFC岐阜に入団する。2007年からはFC岐阜SECONDに登録変更され、2009年までプレイした。

  • 1999-2001 Gifu technical high school (Japan)岐阜工業高校

    岐阜工業高校時代には第78回、第80回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。しかし、自身はその2回のチャンスを共に直前のけがで棒に振る不運に見舞われ、多くの高校生の夢舞台でもあるこの大会のピッチを駆け抜ける夢は叶わなかった。