July 11 Friday 2014

空白の3ヶ月。

2010年4月23日に日本を出て、オーストラリアへ。
空港まで、母も見送りに来てくれた。
母の姿は、俺の目には元気に写っていた。

2010年7月4日に母の体調が気になり一時帰国。
12日間の帰国で、母と一緒に過ごした。
約2ヶ月で母の姿は変化していた。

数年前に、末期のガンと診断された母だが、奇跡的に回復し元気になったこともあって、今回も回復してくれるだろうと軽く考えていた。
この時の帰国では、母の詳しい容態は知らされなかった。

2010年8月18日に母は亡くなった。
前日に妹から電話があって、「母の容態が急変したから帰ってきて欲しい」
飛行機の手配をしている間に、妹からのまた電話があり、「今、母は息を引き取った」と知らされた。
俺が知っている事は少ない。
なくなる前に「卓也には知らせないで欲しい」と言っていたこと、俺にはサッカーを思いっきりやっていて欲しいという願いがあったらしい。

2010年8月19日に帰国し、お通夜とお葬式に出席することができ、母を送った。

日本を出てからの約3ヶ月間、俺は母を知らない。。。
母が苦しんでるとも知らないで、海外でサッカーをしていた。
この3ヶ月は、今でも空白になっている。
家族に聞くことはできたが、現実を受け入れるのが怖くて聞けないでいた。
現実から逃げるように、その話題は避けていた。

今回の帰国で妹と話している中に母のことを少しだけ聞いた。
全部を聞く前に、俺はギブアップしてしまった。
ほんの一部を聞いただけで、涙が出て止まらなくなり、それ以上は聞くことができなかった。
まだまだ知らないことが多い。
親父も妹も、全てを受け入れている。
母が亡くなって、約4年。
まだ俺は現実を受け入れることができない。
いつかは全てを受け入れなければいけない日が来る。
俺は耐えることができるのだろうか。。。
俺はまだまだ弱い。

一つのメモリーとして、この場を借りて書いてみた。
避けることのできない現実だけど、受け止めることのできない現実。
今回、妹から聞いたことは、しっかりと受け止めたい。
次に帰った時には、もっとたくさんのことが聞けるように強くなってみせる。
俺はサッカーを思いっきり頑張ることで、母に恩返しがしたい。
闘病生活で苦しい時も、俺のことを一番に考えてくれ、心配かけないようにしてくれた。
一生かけても恩返しできるかわからないが、サッカーを続けれる限り全力でプレーし続ける!
今までもそうだったように、毎年のように成長してみせる。
母に伝わると信じて。。。

母さん、本当にありがとう。
迷惑ばかりかけてごめん。

Published on Jul. 11, 2014 by Takuya Iwata #424